さつまいもの里 三芳町

三芳町(みよしまち)は、埼玉県の南部にある人口約3万8千人の「富の川越いも」で有名な町です。
平成23年で三芳にさつまいもが伝わってから260年になりました。

当サイトでは、そんな歴史と伝統を受け継ぐ「富の川越いも」とその産地「三芳町」の今と昔をご紹介しています。

サツマイモの女王「富の川越いも」

日本でサツマイモが栽培されたのは江戸時代からで、関東地方では享保の大飢饉以降に盛んになり、長きに渡って飢饉の際の食物、主食の代用物とみなされてきました。しかし川越藩主・松平直恒が将軍徳川家治に川越地方でとれたサツマイモを献上したところ将軍は色の美しさと味の良さから「川越いも」と名付けられました。寛政年間に焼芋屋が繁盛しその名が広りました。
その川越地方ではいち早く紅赤をとり入れ、「川越いも」の知名度から「川越いも」といえばこの紅赤(昔ながらの金時)を指すようになりました。
以後川越地方でとれるさつまいもは「川越いも」と呼ばれ、さつまいもの代名詞となっています。

非常に栽培の難しい「川越いも」は、埼玉県三芳町の三富新田しか生産地として残らず、入間郡三芳町の上富地区は、武蔵野の平地林や短冊形の地割りなど、 三富開拓の面影を今なお残す川越いもの生産地です。最近では上富地域でとれたさつまいもは、『富の川越いも』『富のいも』などと呼ばれ贈り物などに大変喜ばれています。

川越いも焼酎 富の紅赤

「富の川越いも」は、平地林の落ち葉を掃き厚め、 完熟させた堆肥を畑に施す循環型農法により 丹精込めて育てられた逸品です。「川越いも焼酎 富の紅赤」に使用している品種、「紅赤」は、百年以上も受け継がれている限定品種です。

栽培が難しい反面、他では得難い上品な甘みと 香ばしい風味をを持つことから、サツマイモの女王と呼ばれています。

川越いも焼酎「富の紅赤」は厳選された「紅赤」100%に、酒造好適米として名高い山田錦の黄麹を贅沢に使用しています。爽やかに広がる香りと、ほんのりとした余韻が堪能できる焼酎で、豊かな大地の恵みがきっと伝わるでしょう。

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紅赤とは

紅赤(べにあか)は1898年(明治31年)、埼玉県木崎村(後の浦和市、現さいたま市)の主婦山田いちが、偶然発見したサツマイモの突然変異種である。従来のサツマイモよりも遥かに甘くて美味しく、翌年市場に出した所非常に高値で売れ、近隣の農家にたちまち広まった。この時近隣の農家の要望に応え苗の生産を請け負ったのが、山田いちの甥である吉岡三喜蔵であり、紅赤のネーミングは彼によるものである。

俗称「金時」とも呼ばれるが、徳島県の鳴門金時や石川県の五郎島金時とは異種である。

1931年(昭和6年)、山田いちは農業功労者に贈られる「富民賞」を受賞する。

日本でサツマイモが栽培されたのは江戸時代からで、関東地方では享保の大飢饉以降に盛んになり、長きに渡って飢饉の際の食物、主食の代用物とみなされてきた。しかし川越藩主・松平直恒が将軍徳川家治に川越地方でとれたサツマイモを献上したところ「川越いも」の名を賜り、寛政年間に焼芋屋が繁盛し「川越いも」の名が広まった。その川越地方ではいち早く紅赤をとり入れ、「川越いも」の知名度から「川越いも」といえばこの紅赤(昔ながらの金時)を指すようになった。

突然変異で誕生した紅赤は、栽培が非常に難しく地味を選び、埼玉県三芳町の三富新田しか生産地として残らなかったが、近年、川越市内でも栽培が復活した。人為的な品種改良をされた品種が大半の現在のサツマイモ栽培で、紅赤の占めるシェアは僅か数パーセントに過ぎない。しかしながら、サツマイモが飢饉食から、今日のようなおやつ・菓子の材料としての「美味しい野菜」としての位置づけを獲得する事となった明治以降の品種改良において、紅赤はその端緒となった品種である。そういった意味で日本農業史、食文化史においての足跡は大きいと言え、 シェアは少ないながらも高級ブランド野菜となっている。